令和元年6月11日 日本書記660年の粛慎とは
2019.06.11
蝦夷エミシが朝廷の軍に救いをもとめた
日本書記の斉明天皇6年(660年)に書かれています。
3月。阿倍臣(アヘノオミ)… 船師(フナイクサ)200艘を率いて、粛慎国(ミシハセノクニ)を征伐しました。阿倍臣は陸奥の蝦夷を自分の船に乗せて、大河(オオカワ)のほとりに到着しました。渡嶋(ワタリノシマ)の蝦夷1000人余り、海のほとりに駐屯して、川に向かって野営しました。陣営の中の2人が進んで急に叫んで言いました。 「粛慎の船師が多く来て、我々を殺そうとしている! だから請い願う! 河を渡って、士官し仕えようと思う!」・・中略・・粛慎の柵(サク=防衛施設)で戦いました。その時に能登臣馬身竜(ノトノオミマムタツ)は敵のために殺されました。  阿部臣比羅夫はその前にも、斉明天皇4年(658年)、粛慎ミシハセを征伐、戦利品としてヒグマ2頭、ヒグマの毛皮70枚を献上しています。 ところで、韓国の教科書に、字が同じだけで全く別の民族か種族かわかりませんが、この肅愼ミシハセという文字が、国定韓国高等学校歴史教科書68Pの地図に出てくるのです。これです。ミシハセとは何か。彼らが熊の頭蓋骨を祭壇に並べて祭る風習は、アイヌと同じで、宗教的関連性があるのかもしれません。


草加市一杯会のツイッターはこちら


手奇塾のユーチューブ動画はこちら




消音の時、旧IEの場合マウス右クリックでミュート解除してください。

人気ブログランキングに参加しています。



2019.06.11 08:00 | 固定リンク | 未分類

- CafeLog -